定期的に同じような話題が出てきて、定期的に英語が出来ない家庭でもおうち英語できるよー!親が英語話さなくても英語を使えるようになるよー!という記事をあちこちで見かけるんだけど。
で、それを提唱している人って、英語講師もしくは、何らかの英語関連のお仕事をしている人じゃない?
で、家庭内では英語導入をしていたりもしていたりで。
※基本下ばかりを見ている母の書いた自己否定が強い【できない言い訳】の記事です。不快な方はお戻りください。(現在小学3年生の親目線からの記事です。子どもが4年生になったらまた考えが変わる可能性大です。)
▶The Big Aqua Book of Beginner Books (Beginner Books) by Dr. Seuss
▶I Am Cindy-Lou Who (Dr. Seuss’s I Am Board Books) by Dr. Seuss
▶In The Night Kitchen Sendak’s
いや、ぶっちゃけ、ねぇ、おうちの中に英語を話せる人がいないと、難しいと思うのよ。
- 読み聞かせできない
- ChatGPTの応答精度を高められない
- 翻訳うまくいかない
- 家で英語を使う相手がいない
- 外部に頼るしかない
- 選択肢が狭まる
- 子どもレベルを把握出来ない
- チャンスに気づけない
- YouTube見せるの戸惑う
- うちの子天才かも!とすぐ思える
- 子どもの自己肯定感が上がる
- 日本語での情報力が上がる
簡単な英語の絵本すら、読み聞かせることができない。
文法だっていまいちわかっていない。
英語の文章の正しい理解ができないから、ChatGPTの応答精度を高めたくても、プロンプト(命令文章)を英語で指令することができない。
実際の会話で使いたい文章を翻訳に頼ろうとしても、短い文章ならだいたい正しく訳されるけれど、思ってもいない文章になることもある。
おうちの人も英語を使わず、兄弟姉妹のいないひとりっ子となるといよいよ家庭の中に英語で会話をする相手がいないから、年齢が上がれば上がるほど家で英語を使う場面がぐっと減る。
子どもが小さい頃はどうにかなったが、近所のおうち英語友だちは、年齢が上がるとそれぞれに忙しくなってめったに会うことすらもままならなくなった。
だったら、お金をかけて外部頼りにしようと思っても、その財源がない。(英語だけに3ターム30万とか無理…)
外部に頼ろうと思っても、教室との連絡が英語だったりすると親が英語が使えないからそこを選択肢に入れることができない。というよりも、そういう家庭の子は客にすらなれないことがある。
頼れる外部がおうち英語をしてなかった子どもたちの選ぶところしか見つけられず、レベルの違いに微妙な気持ちになってしまう。(決して我が子のレベルがどうこうとかではなく、今から英語を始める子と一緒にA A Appleからスタートする選択肢しかないというモヤモヤ)
親が英語が使えないから、子どもの今のレベルを正しく把握出来ない。低年齢であればあるほど、つい子どもが喜ぶだけのキャラクターで、内容がいまいち理解できていないセリフの英語レベルが高いものを選んでしまいがち。
英語でのイベントなど、英語で募集の書かれた情報をキャッチすることができない。
英語ができない故に、質の高い情報に気付くことすらできなかったり、受け身になったりする場合が多々ある。(こんな情報がありますよとわざわざ我が子の英語レベルや年齢にあったものを教えてくれる親切な人は少なく、こんなことが開催されましたとの事後になってから知るパターン。)
親が英語できないからYouTubeを精査することができない。映画化されDVDやブルーレイ化されたものを選びがち。よって場所もお金もかかる…。
おうちの人が英語ができないと、いろいろ、積む。
娘が小さい時は楽しいだけでどうにかなっていた我が家のおうち英語も、歳を重ねていくと、いろいろ、痛感しています。
とはいえ、おうちの人が英語ができないなりのメリットというか、利点もあげてみます。
・少しできた程度で、うちの子天才かも!と思えるから、子どもの英語の可能性しか見えない。子どもの英語を心底褒めちぎることができる。費用対効果を高く感じることが出来る。
・家庭内だけでも、英語能力が常にナンバー1である事実から、子どもであっても頼りにされ、自信につながる。子どもの自己肯定感の爆上がり。
・日本語でのリサーチ力や、次に繋がるやり方と、いい意味での図太さが上がる…。
親は、英語はできたほうがいい。
英語に限らず、何にしても、できないよりもできる親であった方がいい。
気付けず逃したチャンスはあまりにも大きいことが多い。
でも、親になってから英語の環境作りをすることに一生懸命になりすぎて、親が自分の為の勉強する時間もお金も作り出すことはできないという現実もまた⋯。
いちばんいいのは、学生時代や独身時代に海外に目を向けて英語学習をしておけば良かったんだろうなと思うけれど、それって過去には戻れない。(その頃は別の目標があったからそちらに全振りしていたし、そこに英語が無かったことに対しては後悔はない。外国人の友だちもいたけれど、優秀な彼らが日本語を使ってくれていたから、言葉に不自由はなかった。)
そして、もし、私が英語ができる人になっていたとしたら、今のように全振りで英語の環境を作れていたかどうだろうかは謎に思うのです。
今ゆるく大きな負担も感じずに、なんとなくやれているこのままが、私にとってはベストなカタチなんだろうなと思い込んで、今日すること、今週したいこと、今年度までにするつもりのことを考えているのです。
できない言い訳をつらつら書いてみましたが、なんというか、言い訳がましいというか…。
英語育児において、同じアプローチをしても子どもたちの持つ成長のスピードは個別です。
それぞれの子どもがそれぞれに、優れた才能を持っているはずです。
だから、きっと心配する必要ないはずだと思っています。