我が家のお正月は金閣寺から始まりました。
コロナが来てからまだ我が家は県を越境することができません。
本当なら九州でお正月を迎えたかったけれど、今年も叶わず。
隣の大阪のおばあちゃんに会うのも、こちらに来てもらうしか他にありません。
県や国を跨いであちこちされるお友達は羨ましいけれど、近距離移動しかしていないので我が家はお金がかからないで済んでます。
飛行機代だって大きいし、家で過ごせるお正月最高やん!イェーイ!って思いこもうと思っています。(来年こそは九州でお正月を迎えたいという本音‥)
お正月の金閣寺
一昨年は、日本人の方も正月1日に金閣寺に来られることは少なかったですね。外国人観光客向けの観光バスもありませんでした。
去年は、日本人の方が多かったけれど雪も食っていたこともあり荷物の大きな人は少なかったです。
今年は、外国人観光客向けの観光バスで来ていて、その人たちはバスなので軽装。一方、大きなスーツケースを持った日本人観光客が多かったです。駐車場も列をなしていました。
とはいえ体感としては、海外からの方が多く日本語じゃない言葉が多く聞かれました。
などと書くと金閣寺は意外と空いている観光地だと思われそうですが、基本的に金閣寺はめちゃくちゃ混雑している世界遺産(世界文化遺産)です。
正月元日だから、そんなに混んでいないだけです。
近くに観光地があると案外行かないと言いますが、私たちも本当その通りで、金閣寺に行くのはお正月とあと2回あるかないかです。
京都のお友達は金閣寺に家族で行くことがないかもしれません。
いつでも行けるし、あえて混雑する場所に行かなくても他にいい場所があるのかなと思います。
お友達と我が家の大きな違いは、車があるかないかだけだと思っています。
我が家は金閣寺へはバスで行っています。
足利義満が応永4年(1397年)西園寺家の山荘を譲り受け「北山殿」と呼ぶ別邸をおいた。義満の死後、鹿苑寺と名付け、寺とした。
世界遺産(世界文化遺産) 鹿苑寺(金閣寺)/京都府ホームページ (pref.kyoto.jp)
金閣寺は、正式名称を鹿苑寺(ろくおんじ)といい、相国寺の塔頭寺院の一つです。
足利義満は10歳で亡き父の後を継ぎ、室町幕府の3代将軍になりました。
金閣寺は義満が39歳の時に北山殿(きたやまどの)として創建されます。
義満は、明(現在の中国)との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した人で、この時代を北山文化といいます。
自分が死んだ後は北山殿を寺にしてほしいとの義満の遺言のとおり50歳で亡くなった金閣寺となった時のことです。
金閣寺は3階建てで、2層目と3層目が金箔で覆われています。屋根の上には金色に輝く鳳凰がいます。
金閣寺の中は見ることができませんが、階によって作りが違って、1層は寝殿造り、2層目は武家造り、3層目は中国風です。
金閣寺は池の中に立っているね。
歴史漫画で見たことは覚えているよ。
1階は金箔がないけれど2階と3階と屋根の鳳凰はピカピカしているねー。
中はどうなっているんだろうねー。
そういうことを考えて、家に帰ってから調べてみるのも面白いです。