DWE生活も10年を越え、まわりは早い段階でどんどん卒業していき、うちもそろそろ卒業かなーと考えるようになりました。
先が長い道のりのおうち英語の中で、DWE卒業は最初のステップになるのかなと思います。
次に移行する環境が整ってきたかなと、ここにきて我が家もとうとう思えたからです。
卒業課題の応募は年1回9月です。
9月1日12:00頃~9月20日23:59までの受付で、その提出できる期間は短いです。
DWE最後の総仕上げとして「卒業課題」に応募します。
目次
卒業課題の内容
課題① お子さんの名前
課題② お子さんの年齢と自己紹介
課題③ アルファベット A~Zまで
課題④ 1~20までの数字
課題⑤ 10~100までの10ごとの数字
課題⑥ 卒業用Talkalong Cards(No.506~510)の質問と答え
課題⑦ 歌
課題⑧ お話
DWE生活最後の総仕上げとしての「卒業課題」
子どもの発達状況に合わせれば、卒業課題じたいはCAP課題同様、難しい内容ではありません。
むしろ、もう少し難しい課題だったらいいのにと思えるほどです。
卒業だけを目標にしていたら、我が家も最短での低年齢卒業を狙っていたかもしれません。
卒業課題の①~⑦はサクッと録音しましたが、課題⑧のBook読みだけは練習をしました。
11か12のBookをまるまる1冊読むことが課題ですから、単純に読むだけで10分弱かかります。
せっかくBook1冊まるまる読んで提出し先生に聞いてもらうのなら、話の緩急を意識して読みたいねと繰り返し練習をしました。
何度も録音し、それを一緒に聞いてこれはやり直ししようを繰り返しました。(完全に私たち親子の自己満足の都合です。)
DWEのBookは、ほぼ暗記していましたから、本を手に取らず暗唱して録音していましたが、1行抜かしていたり、単語をひとつ変えていたりが多かったです。
母
そして、結局何回も録音をし、喉を潰した状態での卒業課題提出になりましたという…。
もう、これくらいでいいか…という妥協線からだったので、卒業課題を聞く先生には、咳や言い直しが多く申し訳ない…。
我が家の卒業との向き合い方
低年齢での卒業がどうということではなく、DWEを卒業した後の環境というか先の道筋を、我が家はずっと見つけることができなくて、今まで続けてきました。
DWEの卒業だけなら、早期の段階でもできると思っていました。
小学生になる前に、イエロー課題ひとつ残しで、プレグラ課題も済ませている状態にしていました。
イエローCAPがとりたい!卒業したい!と娘に言われた時に、その時に急いで頑張ることがないよう、いつでも即対応できるようにしていました。
(直前になってから頑張ろうとすると、私はたいていロクなことがないのです。)
母
でも、早期では卒業しなかった。
私たちは、次のステップには移れなかった。
我が家の場合、金銭的背景が強かったですね。
近くにインターがあるのに入ることもなく、やっぱり近くにレベルが高いと言われる英語塾があるのに、娘を入れされることもできませんでした。
(あああ、お金持ちだったらなーと何度思ったことか。とはいえ、もし仮にお金持ちだった場合に家庭学習教材であるDWEを選んでいたかは、わからない。)
低年齢でDWE卒業という最初の目標を到達してしまったら、そのあとの英語環境を私たちは導いてあげることはできないと思いました。
私たち家族は日本語しか使わない、一緒に英語で育つ兄弟もいない、家の中に英語話者は居ないということが大きいです。
我が家のDWE CAP獲得と時期
我が家は、ブルー→グリーン→ライム→イエローの順番ではCAPを取得していません。
旧教材はライムの壁という言葉があり、ライムで挫折する子が多くいると聞いていました。
そして、ライムはサーカスがテーマです。
2歳~3歳の年は、近場にサーカスが来ていたこともあり、DWEのbookを持ってサーカスに週に3~4回の頻度で通って、ライムCAPを先に獲得しました。
(クーポンを使えば500~700円でサーカスに行けたし、指定席を取らなかったので娘は無料でした。)
1歳10ヶ月からABCクラブに入りました。
ライトブルー2歳1ヶ月・ブルー2歳8ヶ月
周りも早いめの進度だったし、低年齢でCAP所持しなくては!と、わりと本気で思っていて、頑張って録音しまくっていた時期です。
24時間、外出先であってもDWEを聞いていましたが、それは娘が小学生になるまで続くことになりました。
ライム3歳9ヶ月
ライムキャップを取ったあとに、CAPにあまり興味のなさそうなDWE長期ユーザーのライトブルー所持の年上の子に出会いました。
ライトブルーなのにペラッペラ英語を喋る子!めちゃくちゃかっこ良いと思いました。
CAPの色という色眼鏡で私は子どもたちを見ていたんだなーとハッとしました。
CAPの色なんて関係ない、なんなら上位色所持で、年齢・色レベルの会話ができない方が娘が可哀想だと思い、CAPは急ぐ必要なしと悟りました。
年齢・色レベルの会話ができないのが可哀想というのは、今のような列になってのサインタイムが始まるまでは、イベント終わりに先生がCAPの色を見て話をしてくれていたからです。
青までは、好きな物など単語で返事ができることを聞かれる程度でした。
ライムは、最近のこととかセンテンスで返さないといけないことを質問されていました。(全体がそうだとは言いきれないですが…。)だから、その頃はCAPの色と子の英語力は重要に感じました。
でも、イベントのお土産がなくなったのと同じくらいに、流れ作業のような列に並ぶサインタイムに形が変わり、先生と個人的に話せる時間は基本的に無くなってしまいました。
グリーン4歳5ヶ月
ABCクラブを転校しました。
ABCクラブ内で貰えるプログレスシートのシールが貰えなくなるという話だったので、転校前にグリーンをとりました。
(実際は、転校先のチューターがWFCに掛け合ってくれ、貰えることがわかったので、急ぐ必要はなかった。)
グリーンCAP獲得から小学校にあがるまでの間にイエローの課題はひとつ残し、プレグラ2つも課題提出の状態にして、いつでも卒業出来る状態にしておきました。
小学生になったら、小学校生活が忙しくてDWEをする時間がなくなるという話を聞いていたからです。
実際に小学生になったらDWEはおろか、英語どころではない感じの生活が始まりました。
イエロー9歳7ヶ月
何年かぶりに京都でCAPkidsがあると知り、DWE友だちよりスピーチに一緒に出ようと誘われ、残しておいた課題をひとつ提出し、イエロー獲得しました。
DWEのその先へ
娘も10歳になり、英語の時間は週に1回、45分だけしかない公立の小学校ですが、英語や英語以外の外国語を学習する友だちも増え、英語環境は自走できるようになったかなと思います。
DWE教材においても、毎日コツコツTAC(トークアロングカード)を通すとか、毎日コツコツDVD見るとか、一切やれなかったにもかかわらず、娘がやりたい時にやりたいことをするという、ダラ母の極のような向き合い方しかできませんでした。(何度もやろうとはしましたが⋯、そういうのができないダメ母で⋯。)
それでも、毎週のTE(テレフォンイングリッシュ)とABCクラブだけは継続してやれていました。
家の中を向いている英語活動よりも、家の外を向いている英語活動の方がやりやすく楽しかったから、こういうものは親の性格によるものだなと思います。
今でこそ、遠征をしてまで行こうと思わなくなりましたが、未就学児の頃は近場はもちろん、遠出の週末イベントも楽しみました。
ここまで我が家は、英語を勉強や学習にはしておらず、英語は遊びで娯楽として身につけるスタイルでやってきました。
そんなゆるゆるでも英語を身につけることができたのが、WFCでした。