快晴の暖かすぎることも寒いことも無い日、娘キキは幼稚園を卒園しました。
カトリックの幼稚園なので、同じ敷地にある教会で式典はありました。
席順は事前に子どもたちがクジ引きで決め、いちばん後ろの席で、前方の子どもたちの姿は見えはしなかったけれど、うちの主人は背が高い為、結果的に後ろの席の人に気を使う必要もなく、写真もビデオも使いやすく良い席でした。
例年なら神父様も参加されるとのことだったけれど、今年はコロナの影響で参加せず。
それでも、他を知らないので、満足の行くセレモニーでした。
祝賀会
幼稚園における祝賀会とは何ぞや?ググッてもよくわからなかったけれど、とても良い会でした。
本当なら、近くのかなり良いホテルを使って、開催されるはずでしたが、お遊戯室と呼ばれている幼稚園の体育館を使っての開催でした。
先生方が2つ出し物をして、1つ子どもたちが歌を歌って、撮影会のような感じでした。
キキの通う幼稚園は、そのままお友達みんなが同じ小学校へ行くのではなく、学校区が小さいのと私立の小学校に通いやすい立地のため同じ小学校に通うお友達は少ないです。
なので、卒園したらもう会えなくなってしまうお友達が多いのです。
違う小学校に行くお友達の男の子がいて、娘をぎゅっと抱き寄せ、顔を真っ赤にしてヒックヒックとなるほどに泣いてくれたー。
でも、なんのことだか、まだわかってないキキはなぜ彼が泣くのか解らないようで、戸惑いの表情を浮かべるだけ。
あああ。
違う小学校だけど徒歩圏内に住むであろうその男の子は、なにもかもを理解している。
今日でバイバイしたら、高確率でもう会えなくなるだろうということを彼は知っている。
キキに、事前に、もっとちゃんと教えてあげることができたら、良かったなー。
自分との別れを悲しんでくれて、自分を抱き寄せて泣いてくれる男の人なんて、一生に何人かしかいないんだよー。
もしかしたら彼が最初で最後の男の場合だって、なきしもあらずだし。
母
距離感のわからないボッチママは、なんだかんだで良くない
特にこの男の子は、カトリックの幼稚園とはいえがっつり日本語幼稚園の中で、おうち英語もしている子。
何かといえばキキを細かく助けてくれていたのも見ていたし、知っていた。
例えば、英語優勢だったキキが、ムービー撮るよー!の大人の声に「映画を撮るんだってー」と言えば「動画のことだよー」とか、さりげなく小さなフォローをいくつもしてくれて私も嬉しかったような子。
そして、10年後にはすでに男前になりそうな雰囲気までも持っている。
そんな子がキキの為に泣いてくれたー。
あああ。
母もこの男の子のことは大好きだったけど、彼のお母さんの連絡先を知らない。
最後まで混じらず、なかなかのボッチママだったから、彼とまた会える機会を作ってはあげられない。
とはいえ、連絡先を交換するとおそらく私は距離感がわからず、たびたび連絡をしていたことだろう。
連絡先を交換してくれた=気軽に連絡しても良いと考えてしまう節がある。
そういう人、いるでしょ?それ、私。
母
近くのコンビニで会えるかな?とその男の子は言ってくれたから、しばらくコンビニに通ってみよう。
泣くのだろうと思っていたが
娘の卒園式、いろいろ込み上げてくるものがあって私もきっと泣くのだろうと、思っていたが、そうではなかった。
2年保育で、年中さんの後半頃から通っていた京都駅にいる外国人の雰囲気がマスクをしていたり、喋らない外国人が増えたり、あら?っと思っていたら、そのままコロナ禍となり、外国人観光客は消えた。
幼稚園も緊急事態宣言だったり、近くのコロナ罹患者がいたりで、お休みになったり、休み扱いにしない休みがあった。
当然、休み扱いにならない休み期間はキキは幼稚園には行かなかった。
行かない家族があれば、蜜を防げると思っていた。
お母さん方と連絡を取らないから、それが我が家だけの選択だったのは後から知った。
幼稚園に行かない選択をしたことは、決して後悔はしていない。
不安要素しかないと思っている中で、もし幼稚園に行かせたとしたら、おそらく私は心配でならなかっただろう。
ただ、幼稚園で行われたキキの制作などは当然遅れをとった。
母
幼稚園イベントは、人が集まってしまうから開催しなくても良いとか、できるだけ密度の高い時期には行かせたくないと思っていた少数派だったし、そもそも2年保育を選んだから、結局、結果的には幼稚園には行かなかった。
ん?と思う場面も、それまでにもいくつかあった。
だからでしょうかね、泣くつもりで参加した卒園式、泣くことなく終わってしまいました。